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2008年04月 アーカイブ

2008年04月01日

山城国

昔の地名って感じがします!

山城国 (やましろのくに) は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、畿内に位置する。現在の京都府南部にあたる。別称は城州(まれに山州とも)、雍州。延喜式での格は上国。

歴史
「やましろ」は、古くは山代と書き、7世紀に山背国という表記で国が建てられた。延暦13年(794年)11月8日の平安京命名の際に、桓武天皇が、山河が襟帯して自然に城をなす形勝から、山城国に改称した。

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平城京時代の木簡を見る限り、山代国、山背国と表記は並存しているようである。

国府ははじめ南山城の相楽郡にあった。現在の木津川市山城町上狛にあたると推定される。8世紀前半から葛野郡に移った。現在の京都市右京区太秦や右京区西京極郡町が推定されている。延暦16年(797年)8月25日に、葛野郡の地勢が狭隘であるために、長岡京の南の乙訓郡の地に移った。現在の長岡京市神足または久貝(南栗が塚遺跡)や向日市上植野町中福地、乙訓郡大山崎町円明寺百々に比定されている。

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拾芥抄では、乙訓郡、府と記載されている。

清和天皇の治世の貞観3年(861年)6月7日に、乙訓郡の河陽離宮に移った。河陽離宮は嵯峨天皇が造ったが、当時久しく行幸がなかった。放置による破壊の進行を防ぐため、国司がそこで政を行なうことになったものである。位置は現在の乙訓郡大山崎町の大山崎と推定される。

守護所は、当初、山城国守護を京都守護が兼任していたため、京都守護の御家人の館が当てられた。その後、六波羅探題が兼務するようになり、守護所も六波羅となった。室町時代に山城国を宇治川を境に上三郡と下五郡に分割して、それぞれに守護代を任ずるようになってからは、上三郡の守護所が宇治槙島に置かれ、下五郡の守護所が淀など数ヶ所に置かれた。
(以上、ウィキペディアより引用)

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